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  • guillem303

「瞑想をする」という文化

瞑想か或いは瞑想のようなことが暮らしの中にあると、意識の次元が高くなり、自分のど真ん中に居るように観じます。


よく聞きますよね「ど真ん中」と。

自分や誰かに違和感を感じたり、嘘をついてる時、見えそうで見えない蜘蛛の糸、というか実はない蜘蛛の糸にぶら下がっている時や、蜘蛛の糸を必死に登っている時。明らかにそれをしている時は、自分の真ん中から脇道に逸れています。


そんな時があっても、私はいいと思います。人間ですし。

ただ、それに気づくことが大事だと思います。その蜘蛛の糸にぶら下がってる、と気づくことがとても大事。そして、気づいてどう反応していくのかもさらに大事です。違和感や嘘がない方へ動いたり、そのままでいいやと言う時もあるでしょう。ど真ん中に寄せていく、或いは入っちゃうと、ど真ん中を観じ(×感じ)ます。


何かを変えようとせず、自分が気づき、反応していく。その気づくことが、瞑想をしていると次から次へと起こるように感じます。無意識、盲点になっている部分が明るみに出ると言う感じでしょうか。そして、その意識がまた当たり前の次元になってくると、またその意識の上の次元に進んでいきます。


ただそれを目指す必要はなく、淡々とやっているとだんだん観えたりわかってくるし、ど真ん中に入ったり、寄せて生きる必要性にも気付いてそうなっていくと観じています。


暮らしに瞑想があることが、おトイレに行くくらい自然にあっていいとも思います。誰にでも瞑想はひらけていて、様々なサポートがどこからともなく起きてくるでしょう。「瞑想をする」という文化が、少なくとも私の周りでは築かれています。

と、またかたいお話で、最近よくあるお話ではありますが、だからこそ個の言葉に臨場感を観じるこの頃です。そんなこんなで、私も言葉を連ねてみようとここに記しているわけです。



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